THANKS A MILLION!
OB, OGの皆様へ
皆さんのご協力の下、なんと5,529,000円の寄付金が集まりました。ありがとうございました。 目標額には足りませんでしたが、高森教授のご尽力により、不足分は大学から援助してもらえることになりました。 これでプールと部室が完成することができました。皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
なお、寄付の募集は締め切りましたので、ご了承下さい。
プールの思い出(改)
私達の頃はGWの頃にプール開き。とにかく寒くて…ぶるぶる震えていました。 少し泳いでは、風呂に入って身体を温めて泳ぐ、また温めて泳ぐ…の繰り返し。トイレも近くなるから、合間に水をしたたらせながらクラブハウスのトイレへ直行。 小さく縮こまったモノを震える手で引っ張り出しながら、頭の中はただただ目の前のことをこなすことだけしか考えていませんでした。
シーズン最中になれば、50M×4の1セット計200Mを休みなく泳ぐブロークンという恐ろしいものが発案されました(商学部M先輩です)。各50Mの間はタイム確認の時間しかない上、 セットには制限タイムがあり(200Mのbest timeから算出される。best+α秒)、0.01秒でもタイムオーバーすると“もう1セット”追加されるという鬼システムでした。50M、100M、 150Mとタイムが分かりますから、150Mの時点で遅いとなれば最後の50Mはもう死に物狂いです。確かに練習にはなりますが、200Mのタイムを言われる 絶望(あ゛~)か歓喜(うぉー)かに別れる瞬間のとてつもない緊張感は今でも覚えています。ようやく練習終了と思ったら、『遅刻した分』の増しなるものが待っていることもあり…しかも400M×10本というとんでもない量で ネズミみたいに同じところろグルグル回っていました。泳ぎ終わって帰って日が変わればまた練習というサイクルを月~土曜日まで繰り返していました。
シーズン途中にプール掃除をして、最初に入る透明で冷たいプールの気持ちよさ!晴れていれば太陽の光がキラキラ差し込んできて…最高でした。 強化練習の後、西医体が終わって、空港でうろうろしていたら、英語で話しかけられるくらい、真っ黒に日焼けしていました。
いろんな思い出やエピソードを受け止めてくれていた久留米大学のプール。そのプールが壊れています。
現役、OBの汗と涙の混じったプールをみんなで助けましょう❗ 援助に制限タイムはありません。
本岡大道(1989年卒)